A letter to you alone 1 "Reverse"

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絶望の風景
からの反転

あなたは、不遇で、歳月を空費し、何も持っていない。だからこそ”絶望”を逆手に、思考を変え、習慣を変え、人生を短期間で、反転させる。大変革期の今だからできる、”逆転”の入り口へと。

もし、貴方が今・現在、何をしてもうまくいかず、まやかされて、自らの境遇と過去を恨み、その悔恨と追憶に、慟哭と血の涙を流すほどの衝動に苛(さいな)まれ、今の未来の、肯定的なイメージが、いかにしても持てないのなら、今、しばらく、このページにお付き合いください。


前略 絶望している事さえ、忘れてしまった
手遅れの中で生きておられる、あなたへの、手紙 1

 

私は、いつの日かこの手紙を、必要な誰かに伝えるために、生きてきたのかもしれないとさえ、思っています。曲がりくねり、図らずも反目し、流離い(さすらい)、内在的に心配し続けた事が、顕在化(現実化)し、その中で、手段過程だと思っていたそのものが、”目的なんだ”と認めざるをえなくなった、この今が、その約束を果たす絶好のチャンスだと、直感してこれを書いています。
念というか、残酷なことに、私たちが生きているこの世界は平等でも、大して思いやり深くも、表面上はありません。というか、そう思っていたほうが、心を乱さずに済むと、半世紀生きてきて、思っておりました。
私と貴方が生きてきた同時代の中でも、テクノロジーは、ある段階までは、人が忌避したい見たくないものや、触れたくないものから、遠ざかることを可能にし、
 
”凡人”が自由と思わされたフレームの中で、どれだけその自由になるためのアイテムを、持てるか、持てぬかが、その個人の人生の価値を決めるバロメーターになる。そんな感さえしてくる昨今のありようです。
 
でも、それだけなのでしょうか?ぶっちゃけ、そんなことももう、どうでもいいのです。とりあえず、”それ”を沢山持ち、その状況に心底満足し、自分の人生に一点の悔いなしと思えるひとは、それでいいのです。
 
今は、私と貴方(あなた)の話です。私は貴方にしか、そう、辛酸を舐め、自分を卑下し、悔し涙を流し、いや、口惜しささえ忘れて、仕方なく、寂しく、だけど精一杯生きている貴方にしか、関心がないのです。
 
それは、貴方が私であり、貴方が私とほぼ同年代なら、共感で、もっと若いのなら、貴方の行く末を案じ、ご年輩なら、その険しさを過ぎ越してきた畏敬です。
 
私は、私の負わざる得なかった境遇により、身につく事となったいくばくかの特性と、私が所々で為してきた、いくばくかの奇跡ともいうべきできごとに、いささかの誇りを持ってもいますが、大多数の人はそれを省みることもないし、それを取るに足ることだと、思うこともないでしょう。
 
それでもそれで、全くかまわないのです。私を貴方だと思う貴方だけに、私がこれまでに、理不尽な現実に於いて、10年を単位として行ってきた”検証”を基に、
 
身に着けてきた、全てのスキル(検証されて、実効性・汎用性の高い)・センス(直感力の重大性・感覚・感性)を駆使して、”貴方の絶望”から、その向こう側に、お連れします。
 
私の術は、私の道程の必死の中から、編み出し紡ぎだした一子相伝のような性質のもの。どうぞ、このサイトがあるうちに、しばし、お付き合いください。

負の歴史が深く、過去への悔恨が強い人ほど、
短期間で、人生が変わり始める・不思議

今一度、何の機縁か、このページに来られて、
ここまで何かを感じて、読み進めて頂いた貴方に、
心から”ありがとう”を、言わせて頂きます。
そしてこれを、気まぐれのウェブサーフィンで、たまたま辿り着いた、などと
言わせない、必然的で、決定的な転機に巡り合ったんだと、
鳥肌が立つような事を、 これから、お伝えしていこうと思います。
 
ですから、このページを、一度ではなく、何度も読んで頂きたい。ただ何も考えず、何度も読まれるなかで、貴方の絶望の度合いに応じて、程度の差こそあれ、不思議と今までの事ではなく、これからの事に目が向くようになっていきます。 
どうぞ、気を張らずに、少しの間、浮世(現実)を忘れて、お読みください。

ところで、貴方が、動物を生まれてすぐから、例えば、猫でも犬でも少しでも飼ったり、育てた経験があるなら、彼らが、同じ親から生まれた兄弟姉妹にせよ、かなり小さい時にもう、それぞれ性格の違いや、個体差があることを、容易に知っておられることでしょう。


その中で、彼らがペットとして生きていくのなら、それがどんな性格であっても、最低限は調教や訓練を受け、人と共存する作法を身につけなければ、なりません。

当たり前の真ん中の事で、ここで長々と聞かされるのは、心外とお思いになるかもしれませんが、このことをまず、心に止め置いて頂きたい。

自分自身でさえ、絡まっている糸が、解きほぐせないがんじがらめから、貴方の相棒(潜在意識)を救いだすためには、シンプルな導線が必要なのです。

ここでもうひとつ、どんな手を使っても、浮揚しない気持ち、来て欲しくない明日、なぜか昔はここまでではなかったのに、何をやっても裏目に出る出来事。他人には断じて言わないけれども内実、破滅、破壊して自爆したいような衝動を、抜け出していけるんなら、何でもすると言うのなら、がんじがらめに縛りあげられた縄から、すーっと体を緩めて縄ぬけするごとく、この異常状態から抜けだす事を、決意することが必定なのです。


ちょっと急ぎ過ぎて、いますでしょうか。でも、それほど猶予がないことを、解き明かすためには、ゆっくり急がなければならない時も、あるので、ゆっくりでも、前に行きます(笑)。


わたしが、この手紙でどうしても伝えたい事、貴方がこの全く何もうまくいかない、何もやろうとも・変えられなった毎日を、カムフラージュすることに、全精力を使っている状態を抜けだすのに、必要なことは

 

絶望という沼に落ちて泥が絡みついている、貴方の”自己イメージ”を、少しずつでもひっぱり上げていかねばならぬ事に、気づくことなのです。

ひとつここで、少し意地の悪い話をします。よく、いい音楽を聴き共感し勇気づけられたり、いい動画を見て、感動し気持ちが高揚して涙を流したり、したことがあると思います。

しかし、そのひととき高揚した気分も、煩雑な日常、相変わらぬ先の見えぬ現状の中で、驚くほど急速に薄まっていったりします。また、気持ちの高揚とは別に、動かない体はそのままだったりします。

所謂、カタルシスという効果ですが、これは別に悪いことではなく、もちろんいい事なんですが、瞬発的な情動だけでは、潜在意識に絡みついた泥は、なかなか掃うことができません。

一過性の感情だけではなく、絶望の波に潜在意識が攫(さら)われぬように、道しるべの銛(もり)※(原体験という)を、しっかりと怯えた潜在意識に、打ちこまねばなりません。


かなり厳しい状況から抜け出すのには、これまでお話してきたことに目を向けて行くことによって、自分の脳裏に、朧気(おぼろげ)でもいい、輝き始めた一点の光にむけて、どんどん進んでいくのです。

何をしていいかわからない、というのであれば、例えば、貴方が遠浅の海岸で夢中になって、潮干狩りをしていた、あまりにも夢中になっていた為、急速に潮が満ちて唸る波にもうすっかり廻りを囲まれています。貴方は、一瞬しまったと焦ったが、咄嗟(とっさ)に考えるともなく、踵(きびす)を返して、陸に向かって一心に歩きはじめる、こんな感覚で、“その時できる何か”をするのです。

もちろん、ずっと温めていて今までできなかった事をするのは、結構ですが、そうでなくて、これは潜在意識が自ら自浄するのを、促す段階なのですから、切迫した状況の中、未来への展望など到底考えられない状況なら、その時取り急ぎ、しなければならない事で、いい、それを自分のできる限りでやればいいのです。

それは、まずあなたに、第一段階の光を与えてくれます。これは、自分の30年余の、自らの、また幾多の人々の実際的な検証であきらかなので、心配することはありません。

少し例を挙げさせて頂きますと、最近では、マンション住まいを志向される方も多いので、適切な例えではないかもしれませんが、もし貴方が自分が待ち望んだ一軒家を立てる時に、沼地にそれを立てる事はないはずです。そして、しっかり、土台の基礎固めに留意されることでしょう。

潜在意識をできる限り、平らかにする事は、言うならその個人が行う全ての事象を、現実化させる力の基礎、いやそれ以上の”絶対的条件”ともいうべきものです。

家なら、沼地や、石や木の根が散乱した荒地を造成することなしに、建てたりしないのに、それ以上に貴方の人生を構築する最大の後ろ盾になる潜在意識のコンディションのチエックや、その改善・浄化に、折に触れて留意している、という人に会うのは、本当に稀なことなのです。


もったいをつけるのは、性分ではないので、ズバッと核心に触れますと、もし自分の現在の実人生を、これ以上生き直しても、詮無い(意味がない)とか、自分は不運な星の下に生まれてきたとか、常に何かに虐げられている感じで、生きているのなら、貴方の潜在意識は、絶望という沼にずっぽり嵌(はま)ってしまっているのです。
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  • 01
  • 絶望という沼に嵌(はま)っていることから離脱する為の、奥の手・・それは⁉
ここまでの手紙のなかで、ここで機縁あり、尚且つ、不思議な共感性を感じて下さった貴方に、祈りを込めて、心や大脳も越えて、貴方という個性に向けて、書き進めて来ました。

それ故に、何度もいいますが、繰り返し読んでいただくことにより、何らかの変化が起きてくることと、思います。

それは、今まで当たり前に思い繰り返してきた、閉塞感と恐怖感の、体感の度合いの変化であり、何をやっても同じという感覚から、何からやればいいのだろうという、気持ちの徐々に起こる変化です。

急がば廻れではありませんが、今、貴方が自分が持っている物が、実質ゼロ、或いは大きくマイナスであったとしても、自暴自棄と諦めという、絶望の沼からの、離脱の順序を間違えなければ、貴方が永きに渡ってそれは呪われた自分の運命だと思っていた現実の風景が、思いのほか急速に変わっていったりします。

その次はどうしたら、その次は・・・という、自分の頬をつねってみるような、まったなしの展開に少しずつ価値観の変化や、人生への根本的なとらえ方の転換が起きたりしてきます、と同時に、貴方が絶望の日々のなかで、そういった日々に2度と戻りたくないというような、強烈な”原体験”の下支えが形成されていないと、洪水のようなハプニング(心的な負の習慣性の衝動)で、一気に沼に再度引き込まれるというような、危険がないと、言い切れない。

そこで、私から貴方へ、ひとつのご提案をさせて頂きたたく、思います。というか、このややこしい手紙を、読み進めて来られた貴方だからこそ、かならず、これまで見てきたものとは違う風景をみるようになるリアルに、お連れできると、直観しているのです。
  • 02
  • 自分を自分で突き動かしていくことも、現実の風景を、大きく変化させます。その過程で現われる、痛みや焦りという罠を、貴方とともに、振り切って行く、その愚直な試みの先には、貴方が思いもしなかったステージや境遇の変化が・・。


先ほども言いましたように、図らずも、わたしは半世紀ほどを、自らの数奇な境涯を得て、それと闘い、改善の途を、探し試し求め続けるなかで、本当にいろいろな境遇のヒトと、時には国を跨ぎ、それぞれの場所で、様様な立場で真剣に相対してきて結果としてある種の事を、検証することをしてきたことに、だんだんと、はっきり気づかされていったのです。

それは、生きていくには、コツコツと積み上げていく理性的な思考と、もうひとつは、”どこで身につけてきたのかも、わからない、それでいて蔦のように絡まり執拗な固定観念による、自己嫌悪、自虐的な感情、それに潜在意識が、埋め尽くされないように隙間をつくる”、あらゆる試み、の両方が必要だという、実地的な検証でした。

今、図らずも時代は、SNS等の発達により、権威から療法や定説というものを、縦の上から提示されるだけではなく、

横の水平線から、実際にそれと向き合ってきた人の、それを抱えながら生きている実践を、リアルタイムで見たり、聞いたりできる、実証主義的なものを、選択・探索できうるように、なってきています。

一方で、コロナウィルスのようなものが、突如して現われ、人の往来や触れ合いが簡単に阻害され、仮想通貨や、ブロックチェーンなどという、富の概念のパラダイムシフトが展開する、第1次産業革命(あるいは、第三次世界大戦)に匹敵するような変動の時代に、突入しています。

仮想と現実の価値が混同し、功罪も多極化する、そんな中にあってさえも、変わらないことがあります。

それは、人が生身の存在であり、有限な身体を持って生きていること、

そしてあらゆるマシーナリィ(人工物)なものが、本当は人間の生活を豊かに、便利にするために造られてきたものが、人間を管理し、差別化することで、すごい圧をかけている。

しかしそうではあっても、それぞれの個々人にとっては、今世は、身体が止まるまでの、一度きりの機会。

 
それをどうするか、なんとかしてやれるかは、私、そして、貴方しだいなのです。

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今、あなたは、人生の重大な岐路に立っているのでしょう。当たり前のことですが、人生は一度きりです。これまでの人生がどうであったか、今まで何をしてきたんだろう、などと悔いるのを決然と止めて、何かをしている人を傍観する人生ではなく、何かを評価、批評する人生、他と較べる人生じゃなく、ただ自分のやれることを積み上げていく。その新しい決意が、自分をどこに運んでくれるのか、その目で見て、体感する。その旅路のスタートアップへと、貴方を徹底してお運びいたします。

今、貴方(貴女)は何を後悔しているのでしょうか、或いは、何を取り戻したいのでしょうか?何を思慕して、瞬く間に過ぎさって行く日々を、無念の思いで見送り・過ぎ越しているのでしょうか。もし、そのとっかかりが、掴めないのであれば、貴方の軌道から外れた人生をもう一度、軌道に差し戻すことだけはして、差し上げたく思います。

貴方様に、最後に伝えたいこと。
初見の方は、このちっともスマートではなく、このサイトがなんであるかの、丁寧な説明もなく、また信憑性を増すための、関連するデータや、学術的な補完もなく、ただ「あなたの境遇を変えてみせる」と、ながながと脈絡もなく羅列して、いったい何がしたいんだろうと、お思いだと思います。
私はこれまで、ご縁あり請け負った方々の人生の風景を、細かい部分は別として、本質的に、その方が望む、望ましい方向に、結果論としてかなりのケースで転換、変化させて頂いてきました。
 
今回、初めてウェブサイトを通して、集大成として、実体験と、四半世紀を越える検証を礎に、ウェブサイトの特性を活用して、必要とされている方に、この乱世であり、異なる価値観が混然一体として、端的な改善策や道しるべが見出し難いという状況、先人の方々が、便利に効率的にと、必死で推し進め、形作ってこられた今を、コロナ禍というハプニングの最中、海外在住13年余りを経て日本に戻り、ふと廻りを見渡しますと、疲弊して抜き差しならぬ、さりとてその痛みを打ち明け、相談することのできない沢山のかたの、”悲愴”が自身を含めて、無視できない現況を、大変・切実に感じたのです。
最後に、貴方の不幸や不運は、偶然ではないんです。何度も言いますが、荒地になっている土台(潜在意識)の上に、必死と苦闘で城を立てても、ちょっとした軋みで、全てが崩壊してしまう。本番で、とんでもないミスをしてしまう、もう一歩で目標に届きそうになっても、いつもあと少しのところで、頓挫してしまう。それを、何度か繰り返すうちに、自分に対する信用を失い、たった一度の人生を、限りのある日々を、無駄遣いしている喪失感に埋もれて行く。
 
金輪際、そんな物とは、、一切、手を切って、誰でもない自分が作っていく人生の本当の楽しみを、手にする”礎石”を据えてみましょう。      土岐壱目 拝

土岐 壱目

フリーランス歴25年余、10代後半より、時には国を跨ぎ、様様な立場から、様々な方々と相対し、色々な場面での相互扶助を経験して、
 
極めて、手触り感の高い・実証・検証主義的な観点からの、貴方・貴社の新たな人生、新たなビジネスのスタート・アップの切り口とその実行を、
 
スポーツコーチング&トレーナーの経験・小資本での、優位性あるユニークなビジネスアイデアの共同作案、・他国での日本向け現地代行業運営の実践・多言語(トリリンガル)習得のコツ、活用の実践・学生・職業人・社会的な立場での
 
個々人の立場を優位にする為の効果的な、または、リスクマネジメントの保全を担う、ゴーストライティング・スピーチライティング・コピーライティング
 
・10代に発症した特異性疾患との、必至の共生から体得した、心理学的手法の創案、、ホリスティック療術の活用と実践etc、
 
の経験を駆使して、ライフタイムコーチングの観点から、サポートいたします。

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これまでに、係わった方の、メッセージ&想い出



僭越ですが、私のサジェスチョンを実践して頂ければ、遅くとも3ヶ月内で、人生が大きく変わっていきます。本当です(笑)。それより、大事なことは、変わってきている中で、「今までの人生なにやってきただろう、無駄にしてきたんだろうと、ショックを受けて、他と比較し始めることです。”終わり良ければ、全てよし。”これで、いきましょう!!壱目 敬白

オーストラリア シドニー在住 久保田 利通(42歳)当時26才
壱目先生(さん)と出会ったのは、自分が司法試験浪人をして、3年が経った頃でした。それなりの志もあって、勿論、難関の試験ですので、時間もかかることは覚悟していましたが、アルバイトと厳しい受験生活の中、全く先行きが見えず、さりとて今更投げることもできず、諸々の家庭の事情もあって、ノイローゼのような状態になっているところを、心配した友人が、引き合わせてくれたのです。本当のところ、自分を取り巻く全てに絶望していたので、期待というより関心がありませんでした。

壱目さんは、まず、生年月日を聴き、それ以後は何気ない会話をしていたと、思います。ただ、珍しくその日は、ぐっすり眠ったのを覚えています。それからは、電話でやり取りしていました。なぜか、「頑張って司法試験、勝ち取りましょう。」みたいな流れではありませんでした。促された訳ではありませんが、ほどなく、これまでの成り行きみたいなこと、育った家庭のことなど、夢中になって話ていました。

過去にしがらみがないせいか、また、会話のやりとりに、わざとらしさを感じさせないせいか、初回を除いては、一度に30分ほどのやりとりでしたが、3回くらいでかなり、”いらないこと”を考えないようになっていきました。4回目のとき、「自覚がなくても、させられている事と、自ら望んですることでは、到達点が大きく違うんですよね。」と言ったことをはっきり仰られ、「させられる事をするより、大義名分じゃない視点から、まずとっかかりの目標に向かって何にも考えず、全力投球してみましょう。」という事と、「人間は生き物ですから、身体に投資しない限りパフォーマンスはあがりません。と、食事の指示、生活習慣の是正、リラクセーションとイメージングの、呼吸法を伴ったエクササイズを指示され、一週間ごとに、自分の状況を包み隠さず話し、指示を仰いでいました。

3週間たった頃には活力が出てきて、本当にその4・5年自分だけが暗闇のなかにいるような気がして、それは試験を通るまでの忍従の日々で当然だと思っていたことに、違和感をはっきりと感じてしまっていました。今でも、その後でのやり取りのことを、鮮明に覚えているのですが、「こんなことを言ったら、気味悪く感じるかもしれないけど、確実に波動が変わりましたね。で、唐突ですが、もし今,何
も制約ないとしたら、何をしてみたいですか?」と聞かれた時、「海外に行って生活してみたい。」咄嗟に口をついて出てしまったのです。
 
海外には旅行でも、一度も行ったこともなく、海外渡航を休みの度に重ねている友人などは、別世界の人間で、羨ましさを左程も思ったことはなかったのにです。すると「それはいいですね。さっそく、準備していきましょう。」と言われたのです。さすがに、何かに乗せられて、自分の目標さえ上書きされているような気恥しさを感じて、「司法試験のことが、あるんで・・。」というと、「前も言ったと思うんですけど、やらされている事と、したくてしようがないことでは、到達点が全然ちがうんです。ちょっと、今までしてきた事と違うことを、やってみてもいいんじゃないですか。別に、移民するとかじゃないんだから。」
 
たっての指令(笑)で、その日のうちに、渡航準備をスタートしたのです。取り急ぎワーホリビザを取ってNZに行くことに。渡航の費用の蓄えもなく、それを贖う”つて”も思いつかなかったのですが、勢いが大事だから、「行くー。」って、言えるひとには言いなさいと言われていたので、まず実家に行って、それを母親に言うと、「いいんじゃない、父さんにも言ってみるわぁ。」と、全く予想外の返しをされて、びっくり。親父とは、直接話さなかったんですが、50万の費用を用立ててくれ、あとは、母方の祖父から「若いうちだけだから、行ったらいい。」と、もう50万。それからは、渡航までの仔細は、・・さんが同じ経験してるからと、ざっくり指南してくれて、一ケ月半後には、機上のひととなりました。
 
英語も全くわからず、語学学校さえ決めず、ただ・・さんの、「行って起こることに、身を委ねて、ぱっと閃いたことを波に乗るように受け入れて、全力でやる。」という指示だけを必死に、やっていきました。
 
当時は、まだ、SNSなんてのは無く、PCも持っていない状態だったんで、今となっては海外あるあるのネタ満載の、だけど英語もなんもわからん自分にとっては、洒落にならん毎日を、定宿もない状態で無我夢中で送っていました。
 
泣きながら、壱目さんに数分間だけの国際電話をかけた事も当初は幾度もありました。そのつど、・・さんは、速達の国際郵便で、局留めで手紙をくれて、「こんなことが、起こるはずだから、それは悪くないとか、この時期に、身体壊すはずだから、こんなふうに対処してとか。」こと細かく、レクチャーしてくれました。
 
だらだらと書いてきましたが、それを起点にして、まったく不思議な縁でギリシア、スペイン、コリアン、ラシアン、オランダ、もちろん、キウィ(ニュージーランド人)、日本人etc。そこから、その友人達の誘いで、本当にさまざまな仕事をしました。南米に買い付けに行ったり、寒さに強いからと、カナダや北欧、果ては、極東ロシアでも過ごすことに、なったりしました。今、現在、それらのつてを介して、希少商材を扱う貿易会社を運営しております。
 
自分が思い描いたことと、全く予想外の人生になり、コロナ禍の現在、問題山積みの業務や日常も送っていますが、司法試験挑戦で培った、法律知識の運用や、思考訓練が実は武器になって、色々なチャンスを掴むことができたと今でも思います。
 
このたび、頑なにオンラインでのコーチング・レクチャーを拒んできたという、壱目さんが、大病を経て、オンラインを介してのサービスを始めたと聞き、囁かですが、どん底で暗闇しか見えなかったところから、あの時には考えすらできなかった、一番大好きな街シドニーで、心から信頼できる伴侶と出会い、暮らすことができている、今、自分の人生を本当に変えたいという方には、まだ壱目さんが、公には知られていない今が、絶好のチャンスなことを伝えたくて、拙く、駄文を寄せさせて頂きました次第です。
久保田さんと、出会ったとき、本当に真面目な好青年だなと、思いました。と同時に、このままお仕着せの目標に苛まれて、社会に彼を出さないのはもったいないと、真底思ってしまったのです。彼が、外観からわからない程の、自分の無力感という罠からさえ、離脱できれば、自然に彼の道が開けていくと、思っていたので、嬉しい限りです。因みに、彼の 愛妻は、とびきり美しいレバニストのオージー(レバノン系オーストラリア人)です。・・壱目 記
 

愛知県 在住 渡辺 ゆかり(40代)当時17~18歳

当時、私はスポーツをしてまして、って言っても、遊びとかでなく、小学生の頃から、1日4時間は練習するような感じで、初めは親にやらされてでしたが、小学校高学年からは、地方規模の大会なら、必ずシードされるようなレベルで、とにかく勝つのが楽しくて、色んな試合にでていました。
 
高1の時、心臓疾患である事が判明して、熱心だった親からも廻りの先生からも、一気に、競技の中断を勧告される事態に、なってしまいました。当初は、ショックもあったですけど、練習も厳しかったし病気だし、仕方ないかと言い聞かせて、「却って、良かった。これで食べられる訳じゃないし~(当時は、ね笑)」と何ともない素振りをしていました。競技をやめて、治療もしながら2ケ月位経ったころ、突然急激に眩暈がして、学校で倒れてしまいました。すぐに、通っている病院でCTや脳波チエックを受けたのですが、特に異常はないということで、ストレス性のものだと、薬を処方されました。でもこの不調は収まらず、廻りは心臓の疾患の性もあってかと思っていたようでしたが、内実、それ以上に何をしていても全てがモノクロ映画みたいになってしまって、頑張ろうと思っても、そうすれば益々、”死にたい”みたいな気持ちになって、心配かけたくないという思いから、必死で平気を装っていましたが、”今日をなんとか生きよう”みたいな、その頃のことは、あまりに辛くて、本当に思いだすのが難しいほどです。
 
そんな時、ずっと一緒に練習していた親友から、「短期間で、素人だった人を県大会上位に、食い込ませたり、部員の少ない弱小チームを県大会で準優勝させたりしてる、変わったコーチがいるっていうけど会いに行ってみる?。」と言われました。なぜか、わからないけど、矢も楯もたまらず、直接、そのコーチが当時・指導していた高校に出向きました。そしていきなり、自分が疾患があるけど、自分がやってきたことの節目として、県大会のベスト4以上に名を連ねたいこと等、まくし立てました。そのコーチは、黙って私の話を聞いてくれた後、じっと私を見て、「今後も選手を続けたいんですか?」と聞きました。「いや、身体のことは理解しているので、高校で選手は止めます。でも、今後生きていくのに、自信を取り戻すため、自分が何かをしたいという証を、残したいんです。」と言うと、「わかりました、やってみましょう。」と、私のプレー試すこともなく、引き受けてくれました。
 
私の体調のこともあったでしょうが、1日に小1時間もない中で、とにかく動かないでプレーし、無理な球は、すっぱっと捨てて、決めれる球をミスしないで確実に決めることを、徹底されました、それと常に課題は、シンプルにひとつずつで、「いらんこと、考えるな、絶対、勝たしてあげるから。」と言われ、私ももう全託していたのと、それまで暗澹と鬱々と過ごしていた反動もあって、無我夢中でやっていました。後から聞いた話ですが、普段は廻りの雑音などには捉われない、壱目さんも、すぐ顔が心疾患で真っ青になる私を見て、心労で10㎏近くもやつれたそうです。(汗)また、ずっと私の決断には反対していた両親も、素知らぬふりして食事とか、練習への行き返りなど、サポートしてくれていたのを、今は思い出します。
 
試合当日、ベスト8までは、無心のうちに勝ち進みましたが準々決勝で、知らぬうちにだんだんと疲労が蓄積したのを悟られ、意図的に徹底的に左右にふり廻す作戦を相手が取ってきました。そうすると、壱目さんは何を思ったか、極端な球は一切無視して、相手が得意なバックサイドに、どんな球質でもいいから徹底的に球を集めろと指示してきました。当然ですが、相手は「阿保か?」というように、立て続けに綺麗に打ち抜いてきました。もういちど、振り返ってベンチを見ると、鬼のような形相で、首を縦に振っていました。とにかくコーチを信じてここまで来たので、同じ事を必死で繰り返しましたが、そのセットは案の定、ダブルスコアで取られました。ベンチに戻ると、本当に心配した顔して「行けるか?」と聞かれたので、「全然、行けます。」と言うと、「同じことを続けて。そしたら、必ず相手が崩れてくるから、その時からはテンポアップして一気に行って、今度はフォアに確実に、遅くてもいいから角度をつけて集める。絶対、行けるからね。」そうすると、壱目さんが言うように、一球目から空振ったり、打ちミスしたり、本当に嘘のように相手が崩れて行ったのです。気づいた時には、セットを取り返して最終セットをダブルスコアのマッチポイントを迎えていました。まるで、パッと夢から覚めるように、一気に現実感を取り戻し、手が急に痺れてきました。その時です、ベンチのコーチが、「行けー。」と叫びました。審判から、厳重注意が申し渡されましたが、それを見て手の痺れが緩み、冷静に逆モーションで相手をバックサイドに押し込み、最後はスローモーションを見るような軌道で、無人のフォアサイドに球が吸い込まれて行きました。
 
今からもう20年以上前の事ですが、その後の人生の節目節目できつい時には、その最後のボールが決まった時の得も言われぬ歓喜を思い起こして、過ぎ越してきました。もう、いい歳になりましたが結婚もして、子供も元気に、その時の私の年齢に近づいています。あの後、全国への帯同を懇願する私に、自分の役目は終わったのでと、丁寧に固辞され、違うところに移って行かれた、壱目先生。私がそうであったように、どうぞ、これから、色々な人の人生の転機を手助けされてください。
 
ゆかりちゃん(さんですね、今では。)本当に、お久しぶりです。居を告げる事もなく転々とする私のもとに、懐かしくも、昨日のことのように思い起こされる手紙が、届きました。あの時私のもとに、突然、眼鏡をかけて理知的で色白の美少女が、物凄い思いつめた面持ちで、やってきました。今でもなんで、あんな無茶を引き受けたのかと思いますが、自分こそ本当に代え難い経験をさせて貰いました。今でも、元気に充実された人生を送っているという事で、嬉しい限りです。有難うございます。
・・壱目 記