前略 絶望している事さえ、忘れてしまった
手遅れの中で生きておられる、あなたへの、手紙 1
私は、いつの日かこの手紙を、必要な誰かに伝えるために、
生きてきたのかもしれないとさえ、思っています。
曲がりくねり、図らずも反目し、流離い(さすらい)、
内在的に心配し続けた事が、顕在化(現実化)し、その中で、
手段過程だと思っていたそのものが、”目的なんだ”と認めざるを、
えなくなった、この今が、その約束を果たす絶好のチャンス
だと、直感してこれを書いています。
残念というか、残酷なことに、私たちが生きている、
この世界は平等でも、大して思いやり深くも、表面上はありません。
というか、そう思っていたほうが、心を乱さずに済むと、
半世紀生きてきて、思っておりました。
私と貴方が生きてきた同時代の中でも、テクノロジーは、
ある段階までは、人が忌避したい見たくないものや、
触れたくないものから、遠ざかることを可能にし、
”凡人”が自由と思わされたフレームの中で、どれだけ、
その自由になるためのアイテムを、持てるか、持てぬかが、
その個人の人生の価値を決める・バロメーターになる。
そんな感さえしてくる昨今のありようです。
でも、だから、どうだと、言うのでしょうか。

今は、私と貴方・貴女(あなた)の話です。
私は、貴方・貴女にしか、そう、辛酸を舐め、自分を卑下し、悔し涙を流し、
いや、口惜しさ、さえ忘れて、仕方なく、寂しく、だけど周りを鑑み、
懸命に精一杯生きている、貴方・貴女にしか、関心がないのです。
それは、貴方・貴女が私であり、貴方・貴女が、
私とほぼ同年代なら、共感で、もっと若いのなら、
貴方・貴女の行く末を案じ、ご年輩なら、その険しさ、
を過ぎ越してきた畏敬です。
私は、私の負わざる得なかった境遇により、身につく事となった・
特性と、その気づきゆえ、私が所々で為してきた、いくばくかの奇跡、
ともいうべきできごとに、いささかの誇りを、持ってもいますが、
大多数の人が、所詮、それを、省みる事もないし、それをして、
見せても、或いは、ほぼ違わない予測を、つまびらかにしても、
大衆洗脳と、仕組まれた権威に追従して、その虚妄、
に篭絡され、検証もせず、生活を、財産を、将来を、
健康を、幸福を、引いては、"人生"そのものを、食い物に、
されるのを教訓にすることもなく、何度も、何度も繰り返す、
悲劇を、見てきたし、自分自身も気づかない、心の傷が、
自分の人生の可能性を阻む、大きな檻になる、
怖ろしさを、身を持って、体験してきました。
人生を変えた多くの人達は、結果的に、変わったことで、現実を
好転させるコツを、検証し、掴み、また、より工夫することで、
自分だけのテンプレートのように、どの感覚が、望む事象を
目の前に引き起こすか、それが、近寄ってきているか、
そうでないかを、感覚しながら、
それを汎用的にして、邪推を受けることで、"思念"が弱まるのを、
直観的に感じ、それを、他の人に、明かしたがりません。
それでもそれで、全くかまわないのです。私を貴方だと、
思う貴方だけに、私がこれまでに、10年を単位として行ってきた
”検証”を基に、身に着けてきた「"思念力"を、意図すること」
によって、
私の術は、私の道程の必死の中から、編み出し紡ぎだした
一子相伝のような性質のもの。どうぞ、このサイトがある
うちに、しばし、お付き合いください。
負の歴史が深く、過去への悔恨が強い人ほど、
短期間で、人生が変わり始める・不思議

今一度、何の機縁か、このページに来られて、
ここまで何かを感じて、読み進めて頂いた貴方に、
心から”ありがとう”を、言わせて頂きます。
そしてこれを、気まぐれのウェブサーフィンで、たまたま辿り着いた、などと
言わせない、必然的で、決定的な転機に巡り合ったんだと、
鳥肌が立つような事を、
これから、お伝えしていこうと思います。
ですから、このページを、一度ではなく、何度も読んで頂きたい。ただ何も考えず、何度も読まれるなかで、貴方の絶望の度合いに応じて、程度の差こそあれ、不思議と今までの事ではなく、これからの事に目が向くようになっていきます。
どうぞ、気を張らずに、少しの間、浮世(現実)を忘れて、お読みください。

ところで、貴方が、動物を生まれてすぐから、例えば、猫でも犬でも少しでも飼ったり、育てた経験があるなら、彼らが、同じ親から生まれた兄弟姉妹にせよ、かなり小さい時にもう、それぞれ性格の違いや、個体差があることを、容易に知っておられることでしょう。
その中で、彼らがペットとして生きていくのなら、それがどんな性格であっても、最低限は調教や訓練を受け、人と共存する作法を身につけなければ、なりません。
当たり前の真ん中の事で、ここで長々と聞かされるのは、心外とお思いになるかもしれませんが、このことをまず、心に止め置いて頂きたい。
自分自身でさえ、絡まっている糸が、解きほぐせないがんじがらめから、貴方の相棒(潜在意識)を救いだすためには、シンプルな導線が必要なのです。
ここでもうひとつ、どんな手を使っても、浮揚しない気持ち、来て欲しくない明日、なぜか昔はここまでではなかったのに、何をやっても裏目に出る出来事。他人には断じて言わないけれども内実、破滅、破壊して自爆したいような衝動を、抜け出していけるんなら、何でもすると言うのなら、がんじがらめに縛りあげられた縄から、すーっと体を緩めて縄ぬけするごとく、この異常状態から抜けだす事を、決意することが必定なのです。
ちょっと急ぎ過ぎていますでしょうか。でも、それほど猶予がないことを、解き明かすためには、ゆっくり急がなければならない時も、あるので、ゆっくりでも、前に行きます(笑)。
わたしが、この手紙でどうしても伝えたい事、貴方がこの全く何もうまくいかない、何もやろうとも・変えられなった毎日を、カムフラージュすることに、全精力を使っている状態を抜けだすのに、必要なことは
絶望という沼に落ちて泥が絡みついている、貴方の”自己イメージ”を、少しずつでもひっぱり上げていかねばならぬ事に、気づくことなのです。
ひとつここで、少し意地の悪い話をします。よく、いい音楽を聴き共感し勇気づけられたり、いい動画を見て、感動し気持ちが高揚して涙を流したり、したことがあると思います。
しかし、そのひととき高揚した気分も、煩雑な日常、相変わらぬ先の見えぬ現状の中で、驚くほど急速に薄まっていったりします。また、気持ちの高揚とは別に、動かない体はそのままだったりします。
所謂、カタルシスという効果ですが、これは別に悪いことではなく、もちろんいい事なんですが、瞬発的な情動だけでは、潜在意識に絡みついた泥は、なかなか掃うことができません。
一過性の感情だけではなく、絶望の波に潜在意識が攫(さら)われぬように、道しるべの銛(もり)※(原体験という)を、しっかりと怯えた潜在意識に、打ちこまねばなりません。
かなり厳しい状況から抜け出すのには、これまでお話してきたことに目を向けて行くことによって、自分の脳裏に、朧気(おぼろげ)でもいい、輝き始めた一点の光にむけて、どんどん進んでいくのです。
何をしていいかわからない、というのであれば、例えば、貴方が遠浅の海岸で夢中になって、潮干狩りをしていた、あまりにも夢中になっていた為、急速に潮が満ちて唸る波にもうすっかり廻りを囲まれています。貴方は、一瞬しまったと焦ったが、咄嗟(とっさ)に考えるともなく、踵(きびす)を返して、陸に向かって一心に歩きはじめる、こんな感覚で、“その時できる何か”をするのです。

もちろん、ずっと温めていて今までできなかった事をするのは、結構ですが、そうでなくて、これは潜在意識が自ら自浄するのを、促す段階なのですから、切迫した状況の中、未来への展望など到底考えられない状況なら、その時取り急ぎ、しなければならない事で、いい、それを自分のできる限りでやればいいのです。
それは、まずあなたに、第一段階の光を与えてくれます。これは、自分の30年余の、自らの、また幾多の人々の実際的な検証であきらかなので、心配することはありません。
少し例を挙げさせて頂きますと、最近では、マンション住まいを志向される方も多いので、適切な例えではないかもしれませんが、もし貴方が自分が待ち望んだ一軒家を立てる時に、沼地にそれを立てる事はないはずです。そして、しっかり、土台の基礎固めに留意されることでしょう。
潜在意識をできる限り、平らかにする事は、言うならその個人が行う全ての事象を、現実化させる力の基礎、いやそれ以上の”絶対的条件”ともいうべきものです。
家なら、沼地や、石や木の根が散乱した荒地を造成することなしに、建てたりしないのに、それ以上に貴方の人生を構築する最大の後ろ盾になる潜在意識のコンディションのチエックや、その改善・浄化に、折に触れて留意している、という人に会うのは、本当に稀なことなのです。
もったいをつけるのは、性分ではないので、ズバッと核心に触れますと、もし自分の現在の実人生を、これ以上生き直しても、詮無い(意味がない)とか、自分は不運な星の下に生まれてきたとか、常に何かに虐げられている感じで、生きているのなら、貴方の潜在意識は、絶望という沼にずっぽり嵌(はま)ってしまっているのです。
- 01
- 絶望という沼に嵌(はま)っていることから離脱する為の、奥の手・・それは⁉

ここまでの手紙のなかで、ここで機縁あり、尚且つ、不思議な共感性を感じて下さった貴方に、祈りを込めて、心や大脳も越えて、貴方という個性に向けて、書き進めて来ました。
それ故に、何度もいいますが、繰り返し読んでいただくことにより、何らかの変化が起きてくることと、思います。
それは、今まで当たり前に思い繰り返してきた、閉塞感と恐怖感の、体感の度合いの変化であり、何をやっても同じという感覚から、何からやればいいのだろうという、気持ちの徐々に起こる変化です。
急がば廻れではありませんが、今、貴方が自分が持っている物が、実質ゼロ、或いは大きくマイナスであったとしても、自暴自棄と諦めという、絶望の沼からの、離脱の順序を間違えなければ、貴方が永きに渡ってそれは呪われた自分の運命だと思っていた現実の風景が、思いのほか急速に変わっていったりします。
その次はどうしたら、その次は・・・という、自分の頬をつねってみるような、まったなしの展開に少しずつ価値観の変化や、人生への根本的なとらえ方の転換が起きたりしてきます、と同時に、貴方が絶望の日々のなかで、そういった日々に2度と戻りたくないというような、強烈な”原体験”の下支えが形成されていないと、洪水のようなハプニング(心的な負の習慣性の衝動)で、一気に沼に再度引き込まれるというような、危険がないと、言い切れない。
そこで、私から貴方へ、ひとつのご提案をさせて頂きたたく、思います。というか、このややこしい手紙を、読み進めて来られた貴方だからこそ、かならず、これまで見てきたものとは違う風景をみるようになるリアルに、お連れできると、直観しているのです。
それ故に、何度もいいますが、繰り返し読んでいただくことにより、何らかの変化が起きてくることと、思います。
それは、今まで当たり前に思い繰り返してきた、閉塞感と恐怖感の、体感の度合いの変化であり、何をやっても同じという感覚から、何からやればいいのだろうという、気持ちの徐々に起こる変化です。
急がば廻れではありませんが、今、貴方が自分が持っている物が、実質ゼロ、或いは大きくマイナスであったとしても、自暴自棄と諦めという、絶望の沼からの、離脱の順序を間違えなければ、貴方が永きに渡ってそれは呪われた自分の運命だと思っていた現実の風景が、思いのほか急速に変わっていったりします。
その次はどうしたら、その次は・・・という、自分の頬をつねってみるような、まったなしの展開に少しずつ価値観の変化や、人生への根本的なとらえ方の転換が起きたりしてきます、と同時に、貴方が絶望の日々のなかで、そういった日々に2度と戻りたくないというような、強烈な”原体験”の下支えが形成されていないと、洪水のようなハプニング(心的な負の習慣性の衝動)で、一気に沼に再度引き込まれるというような、危険がないと、言い切れない。
そこで、私から貴方へ、ひとつのご提案をさせて頂きたたく、思います。というか、このややこしい手紙を、読み進めて来られた貴方だからこそ、かならず、これまで見てきたものとは違う風景をみるようになるリアルに、お連れできると、直観しているのです。

- 02
- 自分を自分で突き動かしていくことも、現実の風景を、大きく変化させます。その過程で現われる、痛みや焦りという罠を、貴方とともに、振り切って行く、その愚直な試みの先には、貴方が思いもしなかったステージや境遇の変化が・・。
先ほども言いましたように、図らずも、わたしは半世紀ほどを、自らの数奇な境涯を得て、それと闘い、改善の途を、探し試し求め続けるなかで、本当にいろいろな境遇のヒトと、時には国を跨ぎ、それぞれの場所で、様様な立場で真剣に相対してきて結果としてある種の事を、検証することをしてきたことに、だんだんと、はっきり気づかされていったのです。
それは、生きていくには、コツコツと積み上げていく理性的な思考と、もうひとつは、”どこで身につけてきたのかも、わからない、それでいて蔦のように絡まり執拗な「固定観念による、自己嫌悪、自虐的な感情」、それに潜在意識が、埋め尽くされないように"隙間をつくるあらゆる試み"、の両方が必要だという、実地的な検証でした。
今、図らずも時代は、SNS等の発達により、権威から療法や定説というものを、縦の上から提示されるだけではなく、
横の水平線から、実際にそれと向き合ってきた人の、それを抱えながら生きている実践を、リアルタイムで見たり、聞いたりできる、実証主義的なものを、選択・探索できうるように、なってきています。
一方で、コロナウィルスのようなものが、突如して現われ、人の往来や触れ合いが簡単に阻害され、仮想通貨や、ブロックチェーン、人工知能(AI)などという、富や概念のパラダイムシフト、が展開する、第1次産業革命(あるいは、第三次世界大戦)に匹敵、或いは、凌駕するような変動の時代に、突入しています。
仮想と現実の価値が混同し、功罪も多極化する、そんな中にあってさえも、変わらないことがあります。
それは、人が生身の存在であり、有限な身体を持って生きていること、
そしてあらゆるマシーナリィ(人工物)なものが、本当は人間の生活を豊かに、便利にするために造られてきたものが、人間を管理し、差別化することで、すごい圧をかけている。
しかしそうではあっても、それぞれの個々人にとっては、今世は、身体が止まるまでの、一度きりの機会。
それをどうするか、なんとかしてやれるかは、私、そして、貴方しだいなのです。


今、あなたは、人生の重大な岐路に立っているのでしょう。当たり前のことですが、人生は一度きりです。これまでの人生がどうであったか、今まで何をしてきたんだろう、などと悔いるのを決然と止めて、何かをしている人を傍観する人生ではなく、何かを評価、批評する人生、他と較べる人生じゃなく、ただ自分のやれることを積み上げていく。その新しい決意が、自分をどこに運んでくれるのか、その目で見て、体感する。その旅路のスタートアップへと、貴方を徹底してお運びいたします。

今、貴方(貴女)は何を後悔しているのでしょうか、或いは、何を取り戻したいのでしょうか?何を思慕して、瞬く間に過ぎさって行く日々を、無念の思いで見送り・過ぎ越しているのでしょうか。もし、そのとっかかりが、掴めないのであれば、貴方の軌道から外れた人生をもう一度、軌道に差し戻すことだけはして、差し上げたく思います。
貴方様に、最後に伝えたいこと。
初見の方は、このちっともスマートではなく、このサイトがなんであるかの、丁寧な説明もなく、また信憑性を増すための、関連するデータや、学術的な補完もなく、ただ「あなたの境遇を変えてみせる」と、ながながと脈絡もなく羅列して、いったい何がしたいんだろうと、お思いだと思います。
私はこれまで、ご縁あり請け負った方々の人生の風景を、細かい部分は別として、本質的に、その方が望む、望ましい方向に、結果論としてかなりのケースで転換、変化させて頂いてきました。
今回、初めてウェブサイトを通して、集大成として、実体験と、四半世紀を越える検証を礎に、ウェブサイトの特性を活用して、必要とされている方に、この乱世であり、異なる価値観が混然一体として、端的な改善策や道しるべが見出し難いという状況、先人の方々が、便利に効率的にと、必死で推し進め、形作ってこられた今を、コロナ禍というハプニングの最中、海外在住13年余りを経て日本に戻り、ふと廻りを見渡しますと、疲弊して抜き差しならぬ、さりとてその痛みを打ち明け、相談することのできない沢山のかたの、”悲愴”が自身を含めて、無視できない現況を、大変・切実に感じたのです。
最後に、貴方の不幸や不運は、偶然ではないんです。何度も言いますが、荒地になっている土台(潜在意識)の上に、必死と苦闘で城を立てても、ちょっとした軋みで、全てが崩壊してしまう。本番で、とんでもないミスをしてしまう、もう一歩で目標に届きそうになっても、いつもあと少しのところで、頓挫してしまう。それを、何度か繰り返すうちに、自分に対する信用を失い、たった一度の人生を、限りのある日々を、無駄遣いしている喪失感に埋もれて行く。
金輪際、そんな物とは、一切、手を切って、誰でもない自分が作っていく人生の本当の楽しみを、手にする”礎石”を据えてみましょう。 土岐壱目 拝
土岐 壱目
フリーランス歴25年余、10代後半より、時には国を跨ぎ、様様な立場から、様々な方々と相対し、色々な場面での相互扶助を経験して、
極めて、手触り感の高い・実証・検証主義的な観点からの、貴方・貴社の新たな人生、新たなビジネスのスタート・アップの切り口とその実行を、
スポーツコーチング&トレーナーの経験・小資本での、優位性あるユニークなビジネスアイデアの共同作案、・他国での日本向け現地代行業運営の実践・多言語(トリリンガル)習得のコツ、活用の実践・学生・職業人・社会的な立場での
個々人の立場を優位にする為の効果的な、または、リスクマネジメントの保全を担う、ゴーストライティング・スピーチライティング・コピーライティング
・10代に発症した特異性疾患との、必至の共生から体得した、心理学的手法の創案、、ホリスティック療術の活用と実践etc、
の経験を駆使して、ライフタイムコーチングの観点から、サポートいたします。
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- であり、確かに間違いありませんので、ご了承、ご安心ください。
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